マイケルのブログ

大手上場企業で働く人間の考え事

人間だけが直線的な時間を生きている

人は悩む。

 

 

成長市場主義的イデオロギーがもたらす鎖に締め付けられ、心身に不調を来たす人も多い。

或いは他者と自分を比較していいなと憂う人もいるかもしれない。

例えば、給料が上がらないとか、長時間労働だとか、毎日の満員電車がキツイとか、そういったストレスは知らずのうちに少しづつ心身を殺していく。

 

鼻息を荒くして今よりもっと成長、今よりもっと成長と意気込むのに疲れた時は、こう考えると楽になる。

 

 

 

人間は2つの時間を生きている。内田先生は言っていた。

 

1つは直進する時間。

つまり、進歩していく時間のことだ。

技術革新がその典型例であるが、それは必ず昨日よりも今日、今日よりも明日へと進歩を続ける。

絶対に後戻りはせず、必ず直線的に前へ進む。

例えば、今年より来年のほうが給料はいいはずだし、パソコンやスマホ、テクノロジー、自動車も2021年よりも2022年の方が必ず進歩している。

 

もう1つは循環する時間だ。

進歩するのではなく、グルグルと繰り返していくもの。

例えば、太陽は東から昇って西に沈む。

それを毎日繰り返す。

循環しているだけで、進歩しているわけではない。

故に明日になったら太陽が少し進歩していたなんてことは起きない。

 

循環する時間は自然の時間だ。

太陽も月も海も山も、猫も犬も全ての自然の事物は循環する時間に属している。

 

そして人間も動物的には循環する中で生きている。

 

長らく都会で文明に触れていると、この自然の成り行きに任せて生きるということを忘れ、人間が全てを牛耳っている感覚になる。

夜中に働いたり、夜中まで起きていたり。

 

それが心身のちょっとした不調の原因だとするならば、少しの間田舎に行き、自然に触れるというのも悪くないような気もする。

人間の都合もほどほどに自然と調和して生きることである。

例えば、海を眺めながらだらだらしゃべっているうちに、西の海に陽が沈み、気づいたら星空の下にいるとか。

そういう時間を時々つくるだけでも、メンタルは少し正常に近づくのかもしれない。

 

別に成長しなくても幸せに生きられると思えられれば、結構楽になるのではないだろうか。