マイケルのブログ

大手上場企業で働く人間の考え事

カラオケの有用性

この前久しぶりに普段は遊ばないような人たちと遊んだ。

遊んだとは言っても仕事終わりにラウンドワンに行ってボーリングやカラオケをしただけだ。

ボーリングは誰と行っても楽しいものだと思う。
なぜなら全員が目指すべき目的が一つしかないから。
ストライクを取るか取らないか、ほんとそこだけだと思う。
だからボーリングが好きであれば全員が楽しめる。

でもカラオケにはその人の趣味が出やすい故に、自分の知らない曲や興味のない曲を相手に選曲されるとつまらなく感じる。
でも仕方ない、アニソンだったりハードロックだったり、バラードだったりとカラオケでは各自好きな歌を歌うもんだ。
僕は普通にJ-POPを歌うんだが、アニソンを歌っている人がいると畑違いすぎてなにがいいのかわからない。
自分が知らないアニメの歌のなにがいいのかさっぱりわからないが、昨日は逆にそれが新鮮だった。


なぜならカラオケでは強制的にその人の趣味を見せつけられるからだ。


つまり本当はアニメの良さがあるのに、ただ自分が食わず嫌いしていただけかもしれないのである。
だからカラオケは強制的で特殊な場所だ。

そしてこの強制感はカラオケにしかないと思う。
例えば、普段の日常会話でこちらが興味なさそうなテーマだと相手が察したら、相手は話題を変えるか、話を終わらせるだろう。
これがカラオケだったら5分程度の1曲が終わるまでは、興味なくてもとにかく聞いてなきゃいけない。

他にも、例えば本屋に行っても自分の興味ないコーナーには目もくれないし、you tubegoogle検索でさえ自分の関心があることしか検索しないし、観ない。
多くの人がそうだろう。
しかもyou tubegoogleは過去の検索履歴を記憶していて、いつも検索しているようなテーマばかりが冒頭に表示されるようになる。
やはりカラオケレベルの強制感はない。


興味関心の幅を広げるという理由で、色んな人と行くカラオケも案外有用だったりする。

そして面白そうなアニメを発見してしまったが、観る時間がない。。。

ただ、そう思っただけである。